「すみません」なんて基本だろ?

おめだつ、今ごろ気付いたんけ?

【グローバルアイ】「韓国は謝らない国」

「韓国では道で誰かとぶつかっても、すみませんという言葉を決して言わないというけど、それって本当なの?」--。

最近あるフランス人の友人が目を丸くして尋ねてきた。友人は、韓国について説明したガイドブックからそうした内容を読んで、びっくりしたと話した。その友人に本の題名を尋ねて、市内の書店で読んでみた。

韓国旅行を準備するフランス人のために作られたその本には「韓国でしなければならないこと、してはならないこと」が紹介されてあった。「道で身体がぶつかっても誰も謝罪をしない」「地下鉄で足を踏んでもすみませんと言わない」という内容が収められていた。同書は「だから、そんな目に遭っても、怒ってはいけない」と忠告している。

中央日報 Joins.com 2009.03.28 10:57:07

歩いていて肩がぶつかっても謝らないなんて、ソウルじゃ常識。
逆に英語で「excuse me」なんて謝ろうものなら、ぶつかった相手から「何か助けが必要なのか?」という顔をされるし。

むしろ、「ぶつかったら謝るという習慣がない」というよりも、「他人にぶつからないよう歩くという習慣がない」と言うべきかも知れない。前見ながら歩かない奴らが本当に多いんだよね。
 

─つづき

韓国を未開な国と記したようで不快だったが、ソウルのことを思い出してみると、すぐに気持ちが変わった。ソウル市内ではすれ違いざまに肩がぶつかるのは日常茶飯事だ。そのとき「すみません」という言葉を耳にした記憶はあまりない。後ろから来る人のために、ドアの扉がしまらないようつかんであげる人もほぼいない。扉を開けてあげて、入ってくる人から「どうもありがとう」という言葉を聞いた経験はもっとない。

だから旅行者が不愉快にならないよう、こうした韓国の「街での常識」を知らせるのは、ガイドブックとして当然すべきことだという気がした。欧州のどの都市を回ってみても、街で肩がぶつかることはほとんどない。それ自体が失礼だと思われ、避けて通っているからだ。ぶつかりそうになっただけでも、2人はほぼ同時に「すみません」と謝る。「ともに暮らしやすい」ように、社会が定めておいた一種の規則であるわけだ。

そうした数多くの規則が、欧州ではあまりにもきちんと守られているという事実を驚きの中、確認することがある。昨年、お客さんを出迎えるため、パリの駅へ向かったことがある。夜11時30分に到着の予定だった電車は、暑さで線路が伸びたため、およそ3時間以上も遅れた。

だが、出迎え客およそ100人と乗客約1000人のうち、大声をあげたり、問い詰めたりする人は一人もなかった。

乗客は駅員から切手が貼られた封筒1枚ずつを静かに受けとっていた。「電車の切符を鉄道会社宛てに送ってくれれば、この次、チケットを購入する際には割引金額を適用します」というアナウンスが流れた。

地下鉄が延着すると駅員の胸ぐらをつかみ、什器を壊し、大雪で飛行機が飛べなくなると空港でデモを行う国の国民としては、とうてい信じられない風景だった。フランス人も欧州では忍耐力がなく、血の気が多いと言われる。しかし、こうした状況では誰もが落ち着いて、決まった規則を守っており、おかげで秩序が維持されることができた。「これこそ、本当の先進国」という気がした。

韓国政府が最近、国家のイメージを改善するため「配慮し、愛される大韓民国」という標語を作ったもようだ。しかし政府が標語をひとつ作るからといって、国のイメージが変わるわけではない。ソウルの街でぶつかり、足を踏まれた後「すみません」という言葉を一度も耳にすることができなかった外国人が、果たして韓国を「配慮する国」と、そして「愛したい国」と考えることができるだろうか。国家のイメージは、国民一人ひとりが作っていくものだ。

 中央日報 Joins.com 2009.03.28 10:57:07

悪天候で飛行機が欠航すると韓国人旅行者たちが大騒ぎするという事件は、日本でもすっかり有名になってしまったが、この記事、「ルールやマナーを守ろう」というよりは、「愛される国になろう」と諭しているようで気色悪い。
そりゃ、愛されないよりは愛された方がいいには違いないけど、「ルールやマナーの遵守」が、「愛される国」になるための手段になっているってことを、この記事を書いた記者はもう一度 よく考えるべきだろう。

好感なんてもんは、普通に真面目に常識的にしてりゃ自ずと付いてくるモン。普通にしてりゃ「あの人、どういう人ですか?」って質問には、たいてい「いい人ですよ~」とか「真面目でおとなしい人ですよ~」という回答があるものだ。その回答を得たいがために、ルールやマナーを手段化しちゃうのは道徳にかなっていないだろう。

俺の知人の韓国人たちは、情が深く気配りができるイイ奴が多いのに、知らない韓国人の悪態の数々を目の当たりにすると、もしかして韓国って国が二つあるんじゃないかってぐらい全く印象が違うんだよね。
あ、北朝鮮のことを言っているんじゃないよw

この記事もさ、「私たちは嫌われている。それは、他人への配慮が足りないからだ。愛されなくても嫌われないためにも、少し他人を思い遣る気持ちを持とう」ってまとめ方だったら100点なんだがな。

ま、異常ってことに気付いただけでもマシかw

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.ipdl.net/elwood/mt-tb.cgi/243

コメント(10)

そんな韓国も中国に比べればみんなGentlemanに見えます。

「韓国人が情に厚い」というのは間違っていないけど当たってはいない。韓国人が自分を投げ打って、本当に親身になって思ってくれるのは親兄弟と親友だけの間柄に限定されるでしょう。全然赤の他人や知らない人には全く無関心であり時には冷淡とも言える非情な態度を取ることを見受けます。日本人の様に「遠くの親戚よりも近所の友達」という概念はありません。そしてその情という物が曲者であり、「自分が親友に対してこれたけ多くの情を尽くしたのだから自分に対しても情を返してくれるのが真の友情であり愛情だ」と思ってる節があります。ですから韓国人から情を受けるとお返しをしないと「お前はなんて冷情な奴なんだ、やっぱり日本人だな」となってしまいます。(韓国人はケチとか冷情とか言われるのを嫌いますね)
 私も何度言われたことやら。まあ、そんな韓国式べったり人間関係もウンザリしたのも事実です。要は韓国の情って「甘え」の感情だと思います。まだまだ経済だけは日本の真似っ子して少し金持ちになったけど、まだまだ精神面はバブバブの赤ちゃんなんだと思ってます。

中国も結構、社会的マナーは良いと思う。
(見張りが居るときはw)

国家が愛される結果を求める手段の
インスパイア先をパリに求めなくとも
隣の国にはいくらでも有るのにww

アジア諸国で、隣近所が時間を申し合わせて
町内の道路掃除を休日にしたり、
向こう三軒両隣の道路を綺麗にする行動。

大都市で渋滞時に鳴らない警笛
満員電車の遅延に対応する客と鉄道員

他人が不快だと思う事をした時
家族内であってもきつく
「ごめんなさい」と言わされる躾
他人が不快だと思う行為をする事を
恥だと理解していればsumimasengや
arigatouは自然に出てくる言葉。

愛される国。
なってどうするのかね?
世界で一番嫌われている国は米国ですよ。

清貧武装などを嫌う人達が愛される国?
そんな国は侵略されてしまって
歴史から消えるのですが・・・・

人は愛のみでは生きていく事は出来ません。

う~ん、韓国にも色々な人がいるので、断定調で語られると困っちゃいます。
俺の友人・知人は(語れば長くなるので省略するけど)本当に情に厚い人が多いし、見ず知らずの日本人にも親切にしてくれる人は決して少なくないです(←それ故、そうじゃない人を見ると、韓国って二つあるんじゃないの?って思っちゃうわけですwww)。
韓国ではほとんど一人で旅行しているので、そういった人々に助けてもらったことは数知れず。もちろん不快な思いをしたこともあったけど、誰もが他人に冷たいってことはないでしょう。そんなヤな奴らばかりだったら、とっくに断交していますってばw

尽くした情への対価を求めるという意見も、ちょっと同意できないです。誰かが言い出したステレオ・タイプの一つでしょう。
「それじゃ、次の店では俺がおごる」とか「日本に来たら俺がおごる」ってのはありますけど、ゴチになっている方が何倍も多いですし、少なくとも「お前が出せ」と言われたことはないですね。まあ、お土産ぐらいは自発的に持って行きますけど。

見栄やプライドが大事という点は否定しませんが、逆に「おごって~」と言ってすり寄って来られるよりはマシですから、その辺は大目に見てもいいんじゃないスか?w

まあまあ。インスパイアのベクトルが日本に向かなかったのは、記者に日本人の知り合いがいなかったということにしてあげましょうよw

日ごろのちょっとした気配りが「粋(いき)かた」=「生き方」になっているのが日本人の良いところ。そういうところが評価されて、インディアンと日本人は嘘つかないというイメージに……って、こたあないでしょうけどw 取り立てて誇らしいわけでもないですし、そんなの当たり前でしょ、って さらりと言えちゃうのは、やっぱり粋だと思うわけですよ。最近は そういう「粋」が薄れかけてきていますけどね。

「愛される国になる」ってのは、やっぱりズレているなあって思いますよ。
だって、誰かから愛されたいって思ったら、まず自分がその人を愛しちゃおうってところから始まるはずですから。おブッダ様やキリストはんが愛される理由が分かるわ~www

確かに全部の韓国人が身勝手で傲慢で唯我論者ではないと思います。確かに個人的に付き合う場合とかには稀に日本人に近い感覚を持っている人にも会うことがあります。思うに韓国にずっと産まれ育って客観的に自国を見れなく、幼少の頃から韓国のマスコミによって刷り込まれた人は一般的なアレな人になると思います。ですが、海外留学や外資系の会社に勤務した人は全然違うんですよ。外から見ると如何に自分(国が)異常か理解出来るのだと思います。私は↑に思ったのは韓国のposcoに2,3年出張していた時の韓国人の感想です。まあ、人によって色々と感じ方考え方が違いますからね。
 しかし、常識的な韓国人も「ウリナラ」という金看板を背負うととんでもないNationalismを発露しますよ。

中国人でマナーが良い人って華僑か余程の金持ちだと思います。上海の第一鋼鉄、宝山製鉄所とかに数年行ってた感じだと1.自分の主張は大声で言った方が勝ち 2.中国人は全く共産党や政府を信用していない 3.友人や同僚がいる前では殆ど本音は言わない。特に外国人の前では絶対です。ですが親兄弟や余程の親友の前では本音を言い合っているらしいです。4.マスコミを全く信用していない 5.中国製品を全く信用していない(落ちぶれたSONYは人気でした)
 つまり中国人って本当に周りを信用していないしまず本音は言ってこないですね。(いまだに密告性があり国家反逆罪や政府転覆罪は死刑です)こんなところで生活して行くには人を蹴落としても生き抜く野獣の様な人間になるのは当たり前かと思いましたよ。
 個人的には愛されるなんて真っ平だけど№1ではないけど、その陰で上手く立ち回って生き抜くのが日本の適性だと思います。

大切な事を忘れてましたけど中国人って「すいません」というと全責任を自分が負う事になり全否定となりますので絶対に言わないです。どんな事があっても言いません。自分が悪くても失敗しても「それは貴方の教え方が悪い」「おかしくなるのが変だ」「そんな事は教えて貰っていない」等々、、。一体何度血管が切れた事やら解りません。所謂、イスラム社会の「Inshallah」的な言い訳なのかも知れません。こんな人達ならひ弱な日本人なんてイチコロですね。

余談ですけど人前で1989年の天安門事件の事を論じるのは避けられているようです。一応、中国人は政府の言うように「彼らは政府を転覆させようとした大犯罪人だ」となっておりますが本音は違うようでした。今でも天安門事件のsiteはすぐに政府により消され逮捕されますが上海の出張時にはこのDVDを電気室に20人くらい集めてパソコンで鑑賞会をしました。やっぱり彼らも興味があるらしいです。
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%A9%E5%AE%89%E9%96%80-DVD-%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3/dp/B00005HXAE

思うにElwood Bradhamさんはギスギスしたビジネスを通して韓国人を知ったのではなく、友達、遊び関係なFriendlyなところを通じて友情を育んだのだと思います。韓国人も一個人としては良い奴も多いと思いますね。ところがどっこい大作、私の場合は右も左も解らない入社して二年目にしていきなりposcoの様な修羅場に叩き込まれた。二週間後にはホットランなのにソフトは無い、仕様が決まっていない、工事は遅れている、機械はマイペース、poscoの人達は非協力的でいつも17時で退社、いつもに夜中一時過ぎまで零下10度以下の現場で這いずり回っているのは我々日本人だけ、、。挙げ句に「工程が遅れているのにニホンSVがナッパです」とか平気で言われてたり、昼の弁当は麦飯二割入った冷や飯にキムチと菜っ葉が数枚のスープだけ、poscoの人間は日本人の機械、電気SVにタカって飲むだけ、日本でMan-to-manで懇切丁寧に教えた韓国人は自分が現地入りした時にはトラバーユしているし、毎日工程会議では「なぜ、出来ないのだ」と1対20人の生活、、。とこんなのを二年も続けていた状態で私の韓国人に対する考えが形成された為にだいぶElwood Bradhamさんと異なるのかも知れませんね。

コメントする

このブログ記事について

このページは、Elwood Bradhamが2009年3月28日 19:16に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「そんなに日本が嫌いか?」です。

次のブログ記事は「ついに最終回っ!」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。