「億千万」ほどじゃないけれど

元日に千葉の実家からバスで最寄り駅へ戻る際、以前住んでいた団地の前を通りかかった。

父の勤務先の社宅で、俺が2歳から9歳頃まで住んでいたその団地には、500戸以上の住居棟が密集していて、田舎にしちゃ そこそこの規模だった。

幼馴染みの多くが同じ団地に住み、同じ団地の友達と幼稚園に行き、団地内の公園で一緒に遊んで、風邪をひけば団地内の診療所で診てもらい、母に連れられて団地内のスーパーで買い物して、その隣のショッピング街の玩具店でミニカーに目を輝かせ……幼い頃の生活のすべてが、その団地内にあった。
 

団地から少し離れた住宅地に引っ越した後も、団地内に住む友達のところへ遊びに行くとか、少年野球チームの練習で団地内のグラウンドまで通うとか、中学に 入って小遣い稼ぎで始めた新聞配達では、俺が団地内を担当していたので、何だかんだで物心付いた頃から13年ぐらい関わっていたことになる。だから、どこにどんな施設があるかも鮮明に覚えている。

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バスが団地の入口の交差点を曲がったときに、ふと車窓を見ると、そこにあるはずの住居棟はすべて姿を消し、赤錆びた有刺鉄線に囲まれた広大な更地だけが広がっていた。

バス路線は団地の外周の一部だけを走っているので(写真中のオレンジの線)、どこからどこまでが更地になったのかは正確には分からないが、少なくとも写真中の住居棟は影も形もなかった。
社宅の住民がいなくなったのなら、昔はグラウンドだった駐車場やテニスコートもなくなったのだろう。

幼稚園のとき、おませな奈保子ちゃんが俺を「デート」に誘った公園は、もしかしたらまだ残っているのかも知れないが、バスを降りて確かめるわけでもなく、自分の中の一部を失ったような喪失感の中で、ぼうっと車窓を眺めていた。

考えてみれば築40年ぐらいの古い住居なので、老朽化も進んでいただろうし、今どきの耐震基準にも合わないのかも知れない。取り壊しは当然の成り行きとは言え、眼前に広がる広大な更地を前にすると、幼い頃に見た風景とのあまりのギャップに、言葉を失うだけだった。


家に帰って、ネットで地図を検索してみると、そこにはまだ更地になる前の団地の写真が残っていた。
ここが俺ん家で、ここがアッコちゃんチ、よっちゃんチはここで、悟志くんはここで、こっちが奈保子ちゃんチ。隆之くんチはここで、ぶーちゃんはここ。松尾く ん、しんちゃんの家……と、写真を見れば、そこに住んでいた懐かしい面々が脳裏に浮かぶが、いずれこの写真も更新されて、先日見た更地か、その跡地に建つ であろう建物の写真に差し替わるのだろう。

すっかり変わった団地の写真を見たときでも、俺は同じように懐かしい面々の顔を順番に思い浮かべられるだろうか。それができなくなった自分を想像すると、少し背中が寒かった。

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このページは、Elwood Bradhamが2009年1月 3日 14:35に書いたブログ記事です。

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