0系の思い出

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今日も定刻どおり、0系新幹線......って、本物じゃないけどね。

鉄分はそれほど多い方じゃないけど、この0系新幹線だけは、子供の頃の憧れだったし、思い出も詰まっている。それが、あと3日で定期運用から退くなんて、なんだか切ない気分。
それにしても、よくもまあ44年も走り続けたもんだ。

世界にはフランスのTGVをはじめとする数多の高速鉄道があって、新幹線のスピード記録なんてとっくの昔に塗り替えられちゃっているけど、鉄道の常識を覆した「伝説」を持っているのは、唯一 日本の新幹線だけなんだよね。それも0系新幹線。

東京オリンピックの年に開業なんて聞いても、はっきり言ってピンと来ない。俺もけっこう おじさんになっちゃったけど、俺が生まれる前の話だもん。物心ついた時には、既に両親の実家への帰省の足になっていて、長距離移動で新幹線を利用するなんて当たり前になっていたからね。

最後に0系に乗ったのは、確か10年ぐらい前の大晦日だったかな……。

前の晩(12月30日)に、銚子の友人の家に遊びに行って、夜になったので帰ろうかというときに、黒崎(北九州)の祖母が危篤だと実家から電話があったんだ。

その日の夜中に自宅に帰り着いて、ネットで飛行機や新幹線の空席を調べまくったけど、帰省シーズンだから満席で予約が取れず、翌朝(大晦日)羽田空港に 行ってもキャンセル待ちがいつ空くかぜんぜん予想が付かないと言われて、やむなく新幹線の自由席の切符を買って「ひかり」に乗ったんだよね。
そしたら、座れないどころか通路まで人が溢れかえってた。w

途中でトイレに行きたくなったんだけど、トイレの前まで人大杉だし、身動きも取れなかったので、仕方なく岡山駅で降りて、トイレに行った後、後続の「こだま」に乗り換えたんだけど、そのときの車両が0系だったな。

後続の「ひかり」を待って乗る場合と比べても、到着時間にあまり差がなかったので、迷わず「こだま」に乗ったんだけど、これがもう......がらがらwww
そのときの「こだま」の自由席は旧式のメカニカル無段階ロック簡易リクライニングシートだったんだけど、3人席の方に座って、肘当てを跳ね上げて、脚を伸ばして小倉まで乗って行ったっけ。

この話には続きがあって、小倉に到着後、TAXI飛ばして叔母の家まで行ったら、俺が到着するまでの間に祖母の容態が好転して、回復に向かっていると聞かされた。
叔母は俺にそのことを伝えようとしたんだけど、俺の携帯電話の番号を知らず、仕方なく俺の両親の家に電話をして番号を聞こうとしたら、俺の両親も慌てて黒埼へ向かって出発した後で、(両親は携帯電話を持っていない)連絡方法がなくなっちゃって......というわけで、危篤の知らせを受けて行ったのに、単なる帰省になっちゃったというオチが付いた。

祖母はその数年後に、今度こそ本当に亡くなっちゃったけど、祖母のことを思い出す度に、なぜか0系新幹線「こだま」が脳裏に浮かぶようになっちゃったw
 

話が長くなっちゃったけど、とにかく、そんな思い出話まである0系とも、いよいよお別れだ。
最後に1回ぐらい乗っておこうと思って前々からLast runの予約を取ろうとしていたんだけど、考えることはみんな同じみたいで、すべて満席。

まあ、俺は鉄じゃないし、鉄道写真を撮る趣味もないので、それならそれでいいんだけどね。

んで、次は200系(東北・上越新幹線)か......。

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このページは、Elwood Bradhamが2008年11月27日 23:33に書いたブログ記事です。

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